沖縄出身の脚本家、故金城哲夫さんが「ウルトラマン」を誕生させてからちょうど50年。
特撮の円谷プロで1歳下の金城さんと苦楽を共にした後フリーになり、ウルトラヒーローシリーズ 3作目「帰ってきたウルトラマン」を手掛けたのが、同郷の上原正三さん(79)だ。
2人のウルトラマンは対照的。金城さんが近未来のファンタジーとして描いたのに対し、「帰ってきたウルトラマン」は放送時の、1971年の東京が舞台。スモッグの空や工場地帯、 ヘドロの海が戦いの場になり、時に怪獣よりも恐ろしい人間の心の闇もテーマになった。
特撮界に多大な足跡を残した上原さん。ウルトラマンと並ぶ特撮ヒーロー、仮面ライダーの 誕生にも関わったというから驚きだ。米軍占領下の沖縄から上京し脚本家になるまでのいきさつや、 ウルトラシリーズ屈指の異色作「怪獣使いと少年」に込めた願い、故郷・沖縄への思いまで、 語ってもらった。
https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=160369
■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇
―今見ても生々しく、よく放送できたなと思う。
「僕が何をやろうとしているのか、TBSの橋本プロデューサーは当初から知っていたよ。 だって最初にプロットを見せるから。プロデューサーの権限は絶対だけど、だめと言われたら企画は通らない。でも、『書け』と言ってくれたよ」
「あの回の監督は東條昭平が務めたんだけど、彼が僕の意をくんで、演出をどんどん強めていくんだ。 例えば、『日本人は美しい花を作る手を持ちながら、いったんその手に刃を握ると、どんな残虐極まりない行為をすることか…』という隊長のセリフは僕の脚本にはなく、東條が付け加えた。そういう意味では、30歳前後の若者が血気盛んに作ったんだね」
―すんなり放送できたのか。
「いや、試写室でTBSが『放送できない』と騒ぎ出した。橋本プロデューサーが『上原の思いが込められた作品だから放送させてくれ。罰として、上原と東條を番組から追放する』と説き伏せて放送させた」
「でも当初、メイツ星人は群衆に竹槍で突き殺されていた。これも僕のシナリオではなく、東條が演出で変えた部分。さすがにこのシーンは生々しすぎて子ども番組の範疇(はんちゅう)を超えると…。それでこの場面は撮り直して拳銃に変わり、オンエアされた。結局、僕はメーンライターを辞めさせられたけど、橋本さんには感謝しかない」
▼詳細は以下より
https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=160369
<この記事への反応>
上原正三って沖縄の人だったのか。
沖縄タイムスには古参の特ヲタでもいるのか?
ウルトラファンもそうでない人も一回目を通すべき。
書けるようになりたいと、僕は目指しています。
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コメント
金城脚本の疎外感や排他的にならざるをえない現実って描写は沖縄本土復帰やらのドロドロが反映されてるってのは色んなとこで指摘されてるなあ。気付かせずきっちり普遍的なSFとして仕上げるあたりが流石だけど。
沖縄の本土復帰で、帰った金城さんと
大和に残った上原正三さん。
私にとってはロボコン等で、世間の厳しさを
幼児期に教えてくれた、お父さんです。